「女性への暴力をなくす運動」に向けて

 

2018年のノーベル平和賞は、女性への性暴力の根絶を訴え、草の根の支援活動を行っている2人に贈られた。この賞が、紛争下の女性や少女への性暴力に焦点を当てたことは大きな意味がある。中東やアフリカだけでなく、中国や朝鮮でもバルカン半島でも、現在ではヨーロッパに向けて難民が船を漕ぎ出すリビアでも、歴史に学ぶことなく、女性への性暴力は繰り返されている。性暴力は相手を徹底的にねじ伏せ支配する、最も有効な手段だから。

 

 

 

受賞者の1人は、少数民族で少数宗教の家に生まれたナディア・ムラドさん。2014年にISに捕えられ「性奴隷」としてすさまじい性暴力を受けた被害当事者で、ドイツに逃れた。同じ時に捕えられた高齢者や男性は殺害された。難民に紛れてIS戦闘員もヨーロッパで難民となっている今、彼女の恐怖心がなくなるのはまだ先のことと思われる。それでも、 2015年から「2度とこのような性暴力をおこしはならない」と訴え続けることができるのは、同じ気持ちで当事者に寄り添っている支援者がいて、生活や言葉の支援、トラウマケアを受けられているからではないか。

 

世界中で♯MeToo、♯UsToo、♯WithYou運動など、セクハラ、わいせつ行為などの性暴力に女性たちが声を上げ始めたこともこの受賞を後押ししたと信じている。ただ残念なことに、日本ではこの運動は低調に終わるどころか、セクハラを受けたテレビ局の記者の所属する会社も、加害者の勤務先である財務省も事実を隠そうとしたり、加害者を容認する発言が続き、被害者がバッシングされる2次的加害を起こさせる結果となってしまった。また、実名を公表してレイプ被害を告発した伊藤詩織さんは、捜査当局である警察やネット上でも風当たりが強く、「セカンドレイプ」を受けたと話している。このことは国際的にも批判を浴び、日本にいては危険だと今はヨーロッパで生活せざるを得ない状況が続いている。これでは、♯MeToo運動は広がらない。まだまだ被害当事者が声を上げられない。

 

 

 

とはいえ、国連による「女性への暴力根絶国際デー」1125日に合わせて、日本でも2001年から「女性に対する暴力をなくす運動」は続いており、この期間には「女性の人権の尊重のための意識啓発や教育の充実」を目的に様々なキャンペーンが行われている。キャンペーン自体が目的ではない。やっとの思いで声を上げた被害当事者の声を、多くの人が真摯に受け止め、問題を理解するよう意識が少しでも変わっていくためのものだ。性暴力に遭ったことがないという女性に会ったことがない。これは不幸にして被害に遭った誰かのことではなく、私のことでありあなたのことだからだ。どのような形態であれ、暴力で問題を解決しないことを続けていくしかない。

 

 

 

AWCもこの数年、国際ソロプチミスト太宰府、福岡-北、福岡-南各クラブのメンバーや行政職員とともに街頭での啓発活動に参加し、ホットラインのインフォメーションカードを手渡している。今年はカードを一新し、女性相談業務を受託しているホットラインの情報も一緒に入れて街頭に立つ予定だ。もし手にされたら、困っている女性に手渡してほしい。

 

パープルリボンをつけよう

 

パープルリボンは女性への暴力を失くしたいと言う思いから、1994年アメリカ、ニューハンプシャーのベルリンという町で、性暴力の被害を受けた人々による集まりから始まりました。パープルリボンをつける事で、多くの人にこの問題の深刻さを伝え、関心を持ってもらい、暴力が絶対にあってはならない事を周囲に広げていくことを目指しています。

 

アジア女性センターは、被害者女性支援を行いながら、2001年にパープルリボンプロジェクトをスタートさせ、女性への暴力の根絶を求め続けて今までに至り、販売も手掛けております。 

 

1112()から25()までの2週間は、女性に対する暴力をなくす運動週間です。私自身もパープルリボン知ったのは、AWCと出会ってからでした。

 

皆さまも、是非この機会にリボンをつけて、身近な人にもご紹介ください。ご購入希望の方はAWCまでお問い合わせください。

 

難 民 を 知 る 一 冊

 

ターメリック、コリアンダー、クミン…遠い国の香りがするこれらの香辛料、みなさんにはどのくらい馴染みがあるだろうか。難民支援協会が出版した『海を渡った故郷の味』という本がある。迫害を逃れて日本にたどり着いた難民の人たちが、故郷の味を思い出しながら寄せたレシピが、美しい写真と味の思い出とともにつづられている。

 

 

 関東の大都市周辺を中心に増えている難民申請者に対し、地方での受け入れや支援に理解を拡げようと、数年前に難民支援協会(難民を支援する日本のNPO団体)の職員の方がAWCを訪問された。平和で安全だと思ってやってきた日本での厳しい現実を必死に生きる難民申請者や、人道的な立場から公的制度の枠組みを越えて工夫を重ねて支援をしている官民の人たちのあり方に胸を打たれた。この本は、その折に紹介された一冊だ。

 

 

 「故郷にいる母から、時々母のドレスを送ってもらいます。『洗わずに送って』と必ず伝えます。それは、服に残った母の匂いから、母のこと、故郷のことを思い出すことが出来るから」という難民の方の話も紹介されている。

 

 誰にとっても、“食べること”は生活そのものだろう。誰かが作ってくれた料理、味、におい、食卓を囲んだ温かい思い出…。平和な国に生まれた私たちとは、国情が大きく異なる難民の人たちだが、この本を手にすると同じ時代の同じ世界を生きる人たちであることをより肌感覚で知る。多くの人たちにお勧めしたい一冊だ。

 

リレーエッセイ  風

 

現在、私は、子ども達も巣立っていき、夫婦二人の生活になった。そして、それとは別に同居こそしていないが、家族がふたり増えた。義父と孫である。義父は、90歳を過ぎてから、家の近所の施設に入所してきた。そして、孫は2年10か月前に、この世に現れた。ひとりは人生いろいろな経験をされ生き抜いてこられた大先輩であり、かたや一方は人生これからのスタートラインに立ったばかりのふたりである。

 

 

 義父は時々、私が誰だかわからなくなることがある。義父の所に行き部屋の掃除をしていると、「ありがとう。どこに住んでいるの。寮か?」と言われる。「この近くの家です」というと安心したように「それはよかった」といわれる。「きれいにしてもらって,すまないのう」と義父のふるさとのことばで言われる。「名前は?」と聞かれ、「○○です」というと、義父は満面の笑みを浮かべ、「僕も○○、同じだ」と言われる。私は,おかしくなって「私は、あなたの息子の嫁ですよ」と自己紹介をする。すると、「それは、失敬」と笑いながら、片手で失敬というジェスチャ―をされる。二人で大笑いをす  る。物忘れが多くなってきた義父であるが、感謝の気持ちや、ユーモアが絶えない。本当に、心根の優しい方なのだなと思う。ちなみに義父は、自分は兄弟の中でも一番、母親に可愛がられていたというのが自慢である。

 

 

孫は、最近は絵本が好きで、一緒に読むと、とても真剣な表情で聞いている。「さっちゃん」の童謡をきいて、「さっちゃん、バナナを半分しか食べられないんだって。さっちゃん、遠くに行っちゃうんだって、さびしいね」と、少し心配そうに言う。まだ、この世に生まれて2年くらいしかたっていないのに、人間の喜怒哀楽をこんなにも感じ取る事が出来ることに驚きを感じる。

 

仕事柄、DVや、虐待に接することが多い私にとって、義父や孫と接する時間はとてもほっとするひとときでもある。孫の感受性の豊かさに触れるとき、暴力が起こっている家の中にいる、子ども達のことが頭に浮かぶ。おとなは、気づいていないが子どもの心はいろんなことを感じている。そして、それが、何なのか言葉では表現できないでいる子どもたちだからこそ、なおさら、周りのおとなが子どもの心に目を向けなければならないと思う。

 

 

義父と孫、年の差は93歳であるが、ふたりに共通の所がある。

 

それは、ふたりの笑顔である。その笑顔は、純粋で、そこには何の計算も損得もない。心の底からの笑顔で、私の心にいつも温かい風を送ってくれる。